午後の空模様は予報通り徐々に陰りを増し、夕方には雨粒達の奏でるオーケストラが始まっていた。
事前に家事のほとんどを済ませ居間で寛いでいた小明は雨の勢いに驚きの声を漏らした。
「ひぇ〜凄い雨。洗濯物早目に取り込んどいて良かった。」
夕方のニュースでもこの雨が明日の明け方まで続く事を告げていた。今夜は多少疲れている事だし
早々と寝てしまうに限る。しかし、何気に見ていたTV画面よりオドロオドロしい音楽とそれに似合いの不気味な書き文字タイトルが…。
『心霊特集!!今宵あなたを真の恐怖が襲う!!』
「…ゲッ!!」
思いっきり複雑な表情を浮かべた。祓い師の血筋か、はたまた好奇心旺盛な気質の為かこの手の番組はつい見てしまうのだがその後は決まって怖い思いをするのだ。
「ど〜しよ〜…。」
そう言いつつも目は画面へと引き込まれている。見ない方がいいとは分かっているがいつの間にか見入ってしまい気づいた時はもう手遅れ。
「見ちゃった……。」
そう、見たは良いが今からが問題なのだ。広い家、聞こえてくる雨音、大気を震わす雷鳴、自分独りしか居ない部屋。
ホラームードたっぷりなこの状況。妙に周囲を警戒してしまう。ちょっとした物音にさえビクついてしまう。考えまいとしても頭が勝手に怖い想像を展開する。いつもなら呼ばなくても居る筈の騒々しい居候も姿を現さない。
小明は自身を守る様に両腕を交差させ、肩を掌で包む。
「…前鬼、来てくれないかな……。」
不安気な表情で呟く。暫くの間、前鬼が来るのではないかと待っていたがその気配も無く時は過ぎるばかり。更に雨足は激しくなり夜も更ける一方。流石にもう寝なくてはならないが怖い想像でゾクゾクしている体を温めたくて手近にあったタオルを手にお風呂場へと向かった。
今もなお雨は弱まる事を知らず、時折放たれる雷光が暗く見通しの悪い廊下を瞬間的に照らし出し何やら不気味な雰囲気を漂わせている。薄明かりを灯す古い電球に照らされた廊下を心なしか壁際に寄りながら異様に警戒した面持ちで小明は歩を進める。普段なら何とも思わないはずの通路さえも大自然のBGMは恐怖を煽るお化け屋敷へ変貌させてしまう様だ。ホラー番組なんか見るんじゃなかったとつくづく後悔しつつやっとの思いで脱衣所へと辿り着いた。
「ふぅ〜…」
ようやく明るい場所へ来たと安堵の溜息をつく。そして手早く脱衣を済ませ、かがり湯で体を馴染ませてから湯船に浸かる。役家のお風呂は岩風呂になっていて泊り客に大変好評であり、お風呂好きの小明自身も気に入っている。
柔らかく気を昇らせる湯に静かに身を沈めながら呼気を深めていると大分落ち着いてきた。精神的負荷で下がっていた体温が上昇し、緊張していた筋肉が弛緩し始める。
「は〜…。良い気持ち。」
静かに目を閉じる。聞こえてくるのは水の音。様々な水の音色。
『ザァ―…』 間断の無い雨足で大量の水が降り落ちる音。
『ポタッ、ポタッ、ポタッ…』屋根を伝い下りた水がリズムを刻みながら地を穿つ音。
『ピチョ―ン、ピチョ―ン…』温かな湯気が天井で水玉へと戻り湯舟に波紋を作る音。
自然の織り成すオルゴールに聞き入り、恐怖と緊張から抜け出そうとしていた。
その矢先、突然闇より生まれた紫電の龍が天から地へと刹那に駆け抜け、
大気を、そして大地をも揺るがす轟音を響かせた。
予期せぬ凄まじい閃光と大音響に驚いた小明は湯波をたてて身を竦ませた。心拍が急加速する。
暗雲に潜む龍がゴロゴロと唸り声をあげて威嚇している。
(もう上がろう…)
再び湧き上がった恐怖に耐え切れず立ち上がった。だが、
今まで灯っていた光が突然消えた。辺りが暗黒へと変わる。
「えっ!? 何??」
右を見ても、左を見ても闇。闇。闇……。
「ヤダ!! どうして!? 何も見えない…。」
どうやら先程の落雷の影響で電気の供給が断たれてしまった様だ。だが、今の小明にとって原因はどうでも良かった。
とにかく明かりが欲しい。頭の中で有り難くない映像がフラッシュバックしてくる。
「…嫌っ。恐い…。ヤダ…!! 誰か……。」
何も見えぬ目に潤玉が浮かぶ。
(暗いのは嫌。独りは嫌。……恐い。……怖い。)
身動きが取れないまま涙ながらに叫ぶ。
「助けて!小鬼バァちゃん!! 助けて…… 前鬼……。 前鬼ィィ―――――ッッ!!!」
小明の声に呼応する様に右手首に光が集った。護法輪具。呪術師・役小角が残した鬼神使役の法具。
小明が肌身離さず身に着けている先祖代々からの宝具。その紅き玉が光を放ち、主の声に応えた。
宝珠の中から力を持った呪が螺旋を描いて出現したかと思うとその不思議な力を駆使して望まれし者を召喚した。
バシャ――――ン!!
「ぶわッ!! なっ何だぁ!? 何処だ? ここは!!」
有無を言わさず呼び出され、派手なしぶきを上げて湯の中に落とされた前鬼は訳が分からずキョロキョロと辺りを見回した。 確か俺様は本堂で寝ていたはず、と。それにしてもこの天候を全く意に介さず眠れる辺り、雷光を操る鬼神ゆえか、それとも性格ゆえか、どちらにしてもさすがと言えよう。ともかく、小明が輪具の力で自分を召喚したのであれば敵が近くにいるだろうと身構え目を凝らす。鬼神である前鬼の視力は人間のそれとは比較にならない。自分の置かれた状況を把握しようと視線を巡らす。と、突如近くで水のはねる音が聞こえた。とっさに振り返った前鬼の体にしなやかな細い腕がしがみつく。
「うわッ!!」
危うく転びそうになるが何とか持ち堪える。
「前鬼! 前鬼!! …前鬼ッッ!!!」
震えながら縋り付き名を呼び続けているのは何故かいつも頭の上がらない相手・小明だった。
(何だ!? 何がどうなってやがる……。訳がわからねぇゼ…)
寝起きの頭が混乱する。だが、何事も縛られる事を好まない性分の前鬼には少女の行動の理由が分かるはずもなくじっとされるがままではいない。引き離そうと手足をバタつかせた。
「何すんだ! 離れろ!!」
しかし、童子の力ではどうにもならない程しっかりとしがみついていて離れそうになかった。
「てめぇ! いい加減に…」
「……た」
「!?」
小明が何事か呟いた。周囲の音に紛れて消えてしまう程の小さな声で。人間の耳なら聞き取れないだろう囁きを小さな鬼神は人ならざる優れた聴力で捕えていた。
(“恐かった”だと!?)
未だに状況が把握出来ないが小明が何かに怯えていることだけは理解出来た。
(〜〜…俺様にどうしろってんだ!?)
敵はいない。少女が恐がる原因も分からない。なす術もなくされるがままの状態が続く。ふと、小明がどんな表情をしているのか気になった。しがみつかれているが為に間近にある彼女の顔を闇に乗じてこっそり覗き見る。瞼をきゅっと閉じ、心細げな面持ちで前鬼の小柄な体にしがみついている。いつものじゃじゃ馬ぶりはすっかり影を潜め別人の様だ。そのギャップが可笑しくてつい顔が笑ってしまう。小明に気付かれたらドツかれる事間違いなしだがこの闇の中なら知れる事はまず無い。この機会にじっくり拝んでやろうと再び小明へ視線を移すが先程よりもお互いの体が密密と接している為かよく顔が見えない上に彼女の体が寄りかかってきていて童子姿ではさすがに荷が重い。
「オイ! 小明、重てぇからさっさと………」
離れろ、と言おうとしたが少し様子がおかしい。小明の体が力無くズリ下がっていく。
「!?」
慌てて少女の体を支える。
「小明!? どうした?」
「前… 目… ま、わる……」
首を項垂れた状態で力無く告げる。呼吸が速く、体温もかなり上昇している。病知らずの彼でも容易に分かるこの症状。
「湯当たり、か!?」
勘弁してくれ、と言わんばかりの表情を浮かべる前鬼。
(俺様は一体何の用件でここに呼ばれたんだ?)
真っ暗闇の中、重力に逆らう事なく身を沈めようとする少女を支えながら
『自分の必要性とは何ぞや?』
と珍しい題材に頭を悩ます前鬼だった。
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