DREAM 第四章
依然として続く雷雨。落雷によって供給は断たれたまま、辺りは闇に沈んでいる。
畳の上にアグラをかき片肘をついた前鬼は窓ガラスを鳴らす雨粒を憮然とした面持ちで見つめながら手にした団扇を動かしている。
そよぐ風が向かう先には布団に寝かされた少女がいる。
額には濡れタオル、机の上には水が入った湯のみが置かれている。
体を横たえた小明は何も身に纏ってはおらず、彼女の愛用している タオルケットが無造作にかけられているだけだ。
湯あたりが原因でダウンした彼女を前鬼がしぶしぶ部屋へ連れて来るハメになったのだが、 その作業はかなり難航した。
鬼神の彼なら小明を抱え上げて部屋へ運ぶのも容易い事だが、 秘呪を使える当の本人が倒れているのだからそういう訳にもいかず、 非力な童子のまま息も絶え絶え運んできたのだ。
他に介抱する者もいない今、自分がやるしかない。
今恩を売れば後々良い事があるかもしれない、と己に言い聞かせ嫌々ながらも 普段やり慣れていない世話を焼いてやったと。こういう流れである。
ただし、服に関しては前鬼が着せ方を知らなかっただけであるが。
「腹へった…。」
団扇をパタパタやりながら空いた手で腹部をさする。
早く目を覚まして何か食わせろよと1人ゴチる。
いい加減扇ぐ手も疲れてきたし、変化に乏しい環境でじっとしているのは性に合わない。
自然と欠伸が出る様はいかにも退屈至極といった感じである。
そしていつしか風のそよぎを生み出していた手の動きは緩やかになり、
激しい輝きを放つ瞳も次第と瞼に閉ざされていった。


「ハァ…ハァ…ハァ…」
喘ぎ喘ぎ走り続ける。自分の存在する場所だけが唯一の視界。
走るスピードも、走ってきた距離も、走り続けた時間さえも知る事の出来ない漆黒の世界。
そして幻想の世界。意識の片隅で理解している。これは「夢」なのだと…。
しかし例え「夢」だとしても確かに「意識」が「体験」している。
幻〈ゲン〉と現〈ゲン〉が混在する世界。
走る。ひたすらに。安全な場所を求めて。
何かが自分を追って来る。それが何かは分からない。
だが何故か言い様のない不安にかられて走る。
振り返るとすぐ後ろに何者かが迫っていた。
爛々と光る独眼を持つ、まるで影が立体化した様な異形の者が枝の様な細い腕を伸ばして少女を捕まえようとする。
必死で逃げるがいくら急いでも易々と追いついてくる。
助けを呼んでも声はわずかも進まぬうちに空間に解けて消えた。
それでも救いを求め続ける。
音にならない声で彼の守護神を呼ぶ。真の力を解放する秘呪を紡ぐ。
しかし何も変わらない。
追い詰められていく。
じわじわと迫ってくる恐怖。
もう逃げ切れないと悟った時禍々しい腕が後方より両肩を掴んだ。
その冷たく吸い付く様な気色の悪さに肌が総毛立つ。
まるで掌に無数の吸盤がある様な感触。
受け入れられない感覚から逃れようとする意識とは反対に体は一歩も前に進まなくなっていた。
恐くて、悲しくて。
何も抵抗できない自分が不甲斐なくて、きつく閉ざした目尻に涙が滲む。
(夢なんだから早く覚めてくれたっていいのに……)
そう思った時、急に肩を掴んでいた異形の手が離れた。
「……?」
ゆっくりと顔を上げ振り返る。
つい今まで自分を苦しめていた怪異は周囲に紛れる様に消えた。
圧迫する様な嫌な気配も無くなった。
何事が起きたのか見当がつかず漫然と佇む少女の肩に再び何かが触れた。
熱き血脈の通う剛健な腕。
ゆっくりと包み込む様に抱きしめてくる。
何故か心地良い。先程まで感じていた嫌悪感はなくなり、微睡むような安堵感へと変わっていた。
(あったかい…。)
居心地の良さに自ら身を寄せ、離れて行かぬ様にしっかと手をまわす。
言い知れぬ幸福感に酔いながら少女の意識は「夢」の世界より遠ざかっていった。


目を開ける。やはり辺りは暗い。
だが温かく護られている感覚は存在していて身を委ねたままになっていた。
(まだ夢の中なのかな…)
ぼんやりとそんな事を考える。
ここが夢か現実か判断しかねていた。
ザーーー……。
(……雨?)
降り頻る天恵がここは現実の世界だと知らしめる。
(ここどこ?今いつなんだろう?私いつの間に眠ったんだっけ……)
動き出した思考が次々と疑問を弾き出すが答えを導くまでには至っていない。
状況を把握しようと身を起こしかけるが、身じろぎは出来ても起き上がる事が出来ない。
その時やっと誰かに抱きしめられているのだと分かった。
あまりにも体の収まりが良く、あまりにも自然で、
……気付かなかった。
窺う様にそ〜っと視線を上げる。
暗くてほとんど見えないが、それでも少女には誰なのか分かる。
「…前鬼。」
小明の頭頂のすぐ上に彼の輪郭がある。
いつもの童子姿ではない、封印の施されていない本来の姿をした彼がいる。
自分を守るように懐に抱き込んで静かに眠っている。
“俺様が側にいる”と体現してくれている。
夢の中の人物同様に護ってくれている。
いや、ひょっとしたらあの悪夢から救ってくれたのも……。
「ありがとう…。前鬼…。」
そっと礼を告げる。
敵に敏感な彼が起きる気配も無く寝入っている様なら心配は無い。
そう感じて小明も起き上がる事を止めた。
前鬼に寄り添う。たまにはこういういのも悪くは無い。
広く温かい腕の中で再び夢の世界へと向かう。
今度はきっと恐い夢を見ないと確信しながら。


翌朝、大地に無数の水溜まりを残して雨は上がっていた。
輝く陽光が万物に等しい恵みを与えるべく雨雲の去った大空へと高度を上げ、やがて45°に達しようかという頃、あの2人組が連れ立ってやって来た。
「待って下さいよ、和尚さま〜!」
先を行く寿海和尚に呼びかける。
「だらしないのう栗林。もっとチャキー!!チャキー!!と歩けんのか!?」
自分が手ブラな事は棚上げして栗林を急かす。
「(小声で)自分は何も持っていないくせに…。」
「ん〜?何か言ったか?」
「…いえ、何も!(キッパリ)」
相変わらずの漫才コンビぶりを見せながら呪法堂へ向かう。
特にこれといった用件がなくとも頻繁に顔を出している2人にとってはまさに勝手知ったる他人の家。
遠慮無く上がり込む。(特に和尚が)
「何じゃ、まだ起きとらん様じゃのう。仕方がない。儂が起こしに行ってやるとするか♪」
しかしその顔は笑っている。
うら若き乙女の部屋に正当な名目で入れるとあっては当然の反応。
「失礼ですよ、和尚サマ」
栗林も一応戒めてはいるが無理に止める気は無い様子。
顔を赤らめ内心ドキドキしながら和尚に付いて行く。
小明の部屋の前に立った2人は胸を高鳴らせながら勢いよく戸を開けた。
「こりゃー! 小明、一体いつまで寝とる気じゃ!!」
「小明さーん♥ 朝ですよ〜。」
だが……、
そこで2人が見たものは、仲睦まじく抱き合って寝ている男女の姿。
予想だにしない状況を目の当たりにして動揺を隠せない。
「どうなっとるんじゃ栗林!?なぜ前鬼殿が…」
「和尚さまああーーーーーーー!!!」
「はいぃ!?」
「何で小明さんと前鬼様が一緒のお布団で寝てらっしゃるんですか!?
どうして前鬼様は鬼神のお姿なんですか!!?
何ゆえ小明さんは服を着てらっしゃらないのですかーーーー?!!」
和尚の首ねっこを掴み激しくシェイクする。
首元を絞められた上に凄まじく前後に振られた和尚はかなり危険な状況まで追い込まれる。
(し…死ぬ……かも…儂…)
和尚が大ピンチになっているとはつゆ知らず幸せそうに眠り続ける前鬼と小明であった。
END