カオス・ホープ〜混沌の希望〜 《 音滝 洸廉様より 》

第8章 神々の戦い 大切な記憶
光が晴れた時、そこには見慣れない男が立っていた。
紅一色のざんぱらの髪を膝まで伸ばし、左肩に鎧の肩当て。その肩当てには白い羽衣が付いていて、右腕に絡まっている。手には槍にしては柄の短い武器。
雷の印と帝釈天を現す梵字が刻まれている。
「・・・・・・・・・前……鬼・・・・・・?」
小明さえ見た事のない姿に恐る恐る訊ねた。
こちらを向いた前鬼に瞳は、漆黒。
「――――――!!?」
違う!!
前鬼じゃない!!
そう思った時にはすべてが遅かった。
ズドォ!!!!
紅鬼が目を見開いた。姿を変えた前鬼が、小明の腹のど真ん中に手を突っ込んでいた。
「・・・・・・・・あ・・・・・・」
小明の口からゴボリ、と真っ赤な血が溢れ出した。
混沌御魂大神は面白そうに目を細める。
「・・・な・・・・・・・んで・・・・・・?」
最後に「前鬼」と呼ぼうとしたが、もう言葉が紡げなかった。小明は瞳に涙を溜めたまま目を閉じ、かくりと頭を垂れた。意識を失った事を知ると前鬼は手を引っこ抜いた。腹から血がさらに溢れ、草地を真っ赤な血で染めた。
「てめえ・・・・・・・・・」
紅鬼は明王斧を草地に叩きつけると大声で怒鳴った。
「ふざけてんのか!!!?何でこいつをこんな目に合わす!?こいつはてめえの大切な人なんだろうが!!!!!」
しかし前鬼は答えない。いや、まるで言葉を知らないようだった。
「無理無理」
それまで静かに事を見ていた混沌御魂大神が杖を持っていない方の手を振って笑いながら言った。
「こいつはもう「前鬼」っつー鬼じゃない。先代帝釈天の魂に乗っ取られたただの鬼さ」
「先代帝釈天・・・?・・・馬鹿な!!!」
紅鬼は明王斧の切っ先を混沌御魂大神に向けた。
「先代帝釈天は神代最強の神のはず!!!俺様ら鬼の身体に降りてくるはずがねえ!!!!!」
「ところができるんだよ。そこの鬼にゃあな」
彼は語り出した。
先代帝釈天は息子に「帝釈天」の名を譲ったのち、死去し、混沌の中で新たな神になるために眠っていた。そんなある日の事。混沌御魂大神は時を越えてやってきた前鬼と小明を見つけた。前鬼の身体から迸る絶大的な鬼神力に目をつけた彼は、さっそく2095年から時を越えて先代帝釈天の魂魄を前鬼に宿した。
前鬼は他の鬼にはない神を呼び出す力を母方の家系から授かっていた。
そして、父方からは神を自らの身体に宿し、自在に操る力を授かっていた。
最も父方からの家系に連ねるその力はまだない。
だが母方から授かった力は扱える。本人が気付かないだけで。
混沌御魂大神はそこに目を付けた。
父を鬼神に持ち、母を人間に持ち、その上最強の闘鬼神になる運命の下に生まれた彼は、数千百年、生まれるか生まれないかの、滴り落ちる命の雫を結晶化したかの如く純粋な生命体。罪の穢れも知らず生まれた純粋な命。神をも殺す力を持つ最高位 の闘鬼神。
彼なら、数多の鬼にも、人間にも応じなかった神も降りてくるかもしれない。
そう思い、この結果を生んだのだ。
「・・・・・たかが、たかがそんな事のためにこんな事仕組んだのか!!?
先代帝釈天――くたばった神なんぞのために、こんな事仕組んだってのか!!!!!?」
「一度先代帝釈天の力を見たくてな。そこの鬼は適役だったぜ」
熱くなる紅鬼とは反対に笑いながら答える神に紅鬼はブチ切れた。
「ふっざけんじゃねぇーーーーー!!!!!!」
金剛夜叉明王を降ろしたままの紅鬼は明王斧を振り翳し神に猛然と切りかかった。
混沌御魂大神は杖の宝珠の付いた方の切っ先で明王斧を受け止めた。
「ヤレヤレ、飛鳥最強の鬼神さえこの程度の強さとはな。ま、天地開闢の頃から生きてりゃ老いぼれてきて力も衰えんのもわかるがよ」
紅鬼は天地開闢の頃生を受け、以来人々の暮らしを影から見守ってきた鬼神だ。
前鬼は千年もの長き時を封印されて生きてきた。
実際封印が解かれても鬼神にとっては瞬きほどの短い時でまた封印される。
だから前鬼の力は衰えることはない。
だが、紅鬼は今まで封印されず生きてきた。生身の身体で時代を駆け抜けてきた。
ならば。
「てめえは、最強なんかじゃねえ。本気になりゃ俺でも殺せる」
「・・・へっ、ふざけんな」
紅鬼は体制を整えるため、地面に降りると混沌御魂大神に向かって斧の切っ先を向けた。
今日で神に刃を向けるのは何度目かね、と思いながら。
「てめえなんぞに殺されてやる俺様じゃねえよ。それに、俺様の命をやるヤツはとうに決まってる」
そう、決まっている。天地開闢の頃に生を受けて、そして長き時の中、愛した女との間に産まれたあの子に最強の名をくれてやる、そして。
「この命も、そいつにくれてやるって、そう決めた」
だから、と、紅鬼は不敵に笑い、斧の切っ先を向けた。
「てめえみてえに血も涙もねえ神に、俺様の命はやらねえ。――絶対な」
運命のカウントダウン。
それは紅鬼にも野菊にも近づいている。
紅鬼のその最初で最後の願いも、叶う事はないとは、紅鬼も知らない。
知る由も、ない。
「だからてめえはここで死ねや!!!!!」
紅鬼と混沌御魂大神、先代帝釈天に乗っ取られた前鬼との戦いが、今始まった――――――



ペチペチ
「ん・・・・・・・・・」
頬を小さな手で叩かれ、小明は眼を開けた。
その眼に飛び込んできたものは、大きなオレンジの瞳。
紅と黒が混ざった髪の毛をした、白い産着を着た小さな子供。
否、まだ赤子か。
「・・・・・・っ前鬼!!!??」
小明はうつ伏せ状態からがばっ!!!と上体を起こした。
一方、突然起き上がった小明にびびった赤子は大きなオレンジの眼を潤ませた。そしてしゃくりあげる。
これはひっじょーにヤバイ展開。そう、赤子の仕事其の一、『泣く』
「びえええええええぇぇぇぇ!!!!!!!」
「きゃああああああああ!!!!ごめんごめんごめん!!!!!お姉ちゃんが悪かったから泣かないでーーーーーー!!!!!!!」
小明は赤子を抱き上げると必死であやした。しかし一向に泣き止んでくれない。
世の中そんなに甘くないなら、赤子もただでは泣き止んでくれない。
どうしようかと悩んでいたその時だ。
「あははっ!!光鬼ってば赤ん坊をあやすのも苦手なんだねえ」
「野菊さん!!?」
今まで気配も感じなかった野菊は光鬼の隣に来て赤子を小明から受け取り抱いた。
しゃくりあげる赤子は野菊を見るなり野菊にしがみ付いて少しづつ泣くのを止めていく。
「光鬼、あんた酷い怪我してたんだけどもう大丈夫なのかい?」
「え・・・・・・あ」
そういえば前鬼にやられて怪我をしたのだ。だが。
「怪我が、ない・・・・・野菊さん?」
「うんや。治癒したのはそいつ」
野菊の指さしたのは小明も知らない、獣の耳をした黄土色の髪の青年。
黒の僧衣に茶色の袈裟。どっからどー見ても僧侶の格好だ。手には錫杖が握られている。
「赤ん坊と戯れる力が戻っているなら、怪我はもう大丈夫だな」
大人びた口調が小明の耳を打った。
「あ、その・・・怪我治してくれてありがとう・・・」
「気にしなくてもいい。お前に何かあったら、カオス・ホープに影響が出る」
「は?」
聞き慣れない単語に、小明は頭の上に?マークをたくさん浮かべた。
しかし青年は構うことなく続けた。
「俺の名前はファレシナ」
「神としての名は魔多羅だろう」
混沌御魂大神が紅鬼との戦いを前鬼に任せこっちにやって来た。
「魔多羅!?」
野菊は驚いてファレシナを見た。
鬼神魔多羅。八幡神(やはたのかみ)眷属の星神。変幻自在の金属神。
そして。
(人の生き肝を喰らう事により、人を黄泉に導く神・・・・・・!!)
いわば。最悪の死に神。
「俺はもう八幡神の眷属の星神じゃない。俺はただの狐だ」
「信太の森の?」
「そうだ」
混沌御魂大神はくくくっと喉を鳴らした。
「とことん姉がお嫌いと見えるわ。八幡の眷属の星神殿は」
「ならば貴殿は自分勝手な成り上がり神かの?混沌を司る御方は」
古臭い、だがまるで神を連想させる物言いに小明達は息を呑んだ。
大神の名を持つ神と鬼神と言われた魔多羅が目の前で話し合っている。
「我と戯れている暇(いとま)があるならば、そこの鬼を止められては如何かの?」
「言われずともその心積もりじゃ。貴殿に言われずともの」
ファレシナは一歩踏み出した。と、それを見計らった如く混沌御魂大神が素早く杖をファレシナに向け攻撃した。
「何!!?」
避け切れない―――!!
ファレシナは顔の前で腕を翳す。
しかし、怖れていた痛みは来なかった。眼を開けるとそこには自分と同じ黄土色の髪を腰まで伸ばした美しい唐草模様の着物を纏った美女が両腕を広げ、ファレシナの前に立っている。
ファレシナを護るように。両手を広げて障壁を築き上げて。
「姉上様・・・!!?」
「はあい葛の木?そんなザマじゃあ八幡神に笑われちゃうわよ?ホンット、だらしないわねえ」
姉上様と呼ばれた彼女はウィンクしてファレシナをからかった。
「姉上様、俺はもうファレシナという名がある。いつまでも其の名で呼ばないで」
「駄目なの?」
ファレシナの言葉を遮りファレシナの姉はファレシナの方を向いて悲しげに訊ねた。
「世界でお互い、たった一人の肉親にさえ、貴方を本名で呼ばせてはくれないの?」
ファレシナは姉の悲しそうな顔にぐっと来て、ごめんと、小さく呟いた。
たった一人の肉親の姉はファレシナを見て満足そうに頷いた。そして。
「行っておいでなさい葛の木。お前の力、今こそ存分に使う時よ」
「はい」
ファレシナは混沌御魂大神の脇を通り紅鬼達の元へ駆けて行った。
「……光鬼、と言ったわね?」
「え?あ、はい」
「貴女もお行きなさい。貴女にしか、この神が仕組んだ戦いに終止符を打てないのだから」
「それって・・・・・・」
ファレシナの姉はにっこりと笑い我が子を諭す母のように言った。
「信じなさい。あなたが生涯愛した男を。大丈夫。あの子は貴女を決して裏切らない。
これ以上貴女を傷付ける事もないわ。さあ、お行きなさい」
小明は少し戸惑いながらもファレシナの後を追った。
「……葛の葉…」
「はあい混沌御魂大神さん?相変わらずの自分勝手はご健在のようね」
でも、と言葉を接続し、混沌御魂大神の起爆装置を押した。
「そんな事だから私は貴方ではなく廻正(めぐまさ)の選んだのよ?そんな事だから貴方は私を手に入れる事は出来なかった。私も、貴方の神妻(かむづま)になる事などなかった。いえ、ならなかった」
「・・・・・・!!この狐が!!!!」
ズドォ!!!と金色の液体、混沌を葛の葉に向けて放った。だが、混沌は野菊の築いた障壁に阻まれた。葛の葉はふん、と鼻で目の前で怒っている神を笑った。
「図星を突かれて怒るなんてまだまだ子供ね。そんな事では、貴方が見下していた廻正の方がずっといいわ。彼は決して誰かを憎むこともなかったし、恨むこともなかった」
だから私は廻正に惹かれた。名声も金も何もいらない。ただ私と晴明が居てくれればいいと言った彼が本当に愛しかった。愛しくて愛しくて、離れたくなかった。
離れるハメになったのは混沌御魂大神が仕組んだ事。京に自分が狐である事をばらされたくなければ彼から離れろと言って脅され、離れた。
どんなに、苦しかった事か。
どんなに、悲しかった事か。
どんなに、我が子と夫の許に居たいと願った事か。
どんなに、信太の森で弟にすがり付いて泣き叫んだ事か。
その悲しみを、苦しみを、怒りを、憎しみを、葛の葉は決して忘れたことはなかった。
忘れようも、ない。
「ねえそこの人」
葛の葉は後ろに居る野菊に声を掛けた。野菊は赤子を抱いたまま顔を上げる。
「私が時間を稼ぐわ。あなたはその子をしっかり抱いてお逃げなさい」
「な!?」
「言う事を聞きなさい!!!その子を死なせてしまってもいいの!!?」
「誰が死なせるもんかい!!!逃げれるなら逃げたいけど、あんた一人で神に太刀打ちする気!!!?」
「仕方ないでしょう!!?」
「でも……!!」
女同士の言い争いだ。野菊が我が子を連れてきたのは離してくれなかったからだ。
物凄い神気を感じ、すぐさま紅鬼の許に駆けつけたかったが、赤子が神気を怖がって離してくれなかったのだ。で、今に至る。
確かに我が子を死なせたたくは無いが、かと言って一人逃げては陰陽師の名がすたる。
でも我が子も大切だし、何より自分の目の前で誰かが死ぬのはもう嫌なのだ。
自分の両親の様に、目の前で殺されるのは………
「私は誰も死なせたくないんだよ!!!!!」
「じゃあ俺が助太刀してやろうか?」
後ろから声がし、三人は野菊の後ろにある崖の上を見た。
そこには逆立てた髪を首の後ろで結び、背中に垂らした、腕の防具に呪を書いた布を巻き付けた鬼神が立っていた。手には小さな宝玉 が付いた反りのある刀を携えている。
「命鬼(めいき)!?」
「よう母さん!!!久々に親元に帰ってきたと思えば何か大変な事になっててびっくりしたぜ」
野菊を「母さん」と呼んだ鬼神は崖から飛び降り、葛の葉と混沌御魂大神との間に入った。
「………鬼神紅鬼と陰陽師野菊の間で産まれた第一子、命鬼(みことおに)こと、命鬼(めいき)か。 確か次の精霊神と呼ばれていたな」
「勝手にヒトの名前呼んでんじゃねえよ。命鬼(みことおに)っつーのは俺の幼名だ」
剣の切っ先を混沌御魂大神に向け、言った。
「父さんも珍しく本気だからな。俺も本気出すか」
命鬼は印を組むと呪を唱えた。
「天界におわす大自在天よ!!!正式な契約を交わした我に汝の絶大なる力を!!天を貫き雲を裂き、降臨するは汝の御魂!!!その尊き名を我が紡ぐ事を赦し給え!!!!
我が身にて降臨、覚醒せよ!!!十二天が王、大自在天!!!!!」
呪の通り金色の光が天を貫き雲を裂き、命鬼の身体に直撃した。
金色の光が晴れた時、そこには異国の服を纏う鬼神がいた。
「面白い!!!大自在天の力でどこまで足掻けるか試してみろ!!!!!」
「フン!!!後で吠え面かくなよ!!!!!!」
命鬼の剣と、混沌御魂大神の杖がぶつかり合った――――――


「お!?ほっ!!!ってえ!!!」
斧と槍のぶつかり合う音の中、紅鬼の手首が浅く切りつけられた。
先代帝釈天に乗っ取られた前鬼は仮死状態であるためか、息をしていない。
(間合い取りづれえ………!!!?)
「おわあ!!!?」
ガキャアアン!!!!
斧が弾かれ、紅鬼の手から離れて弧を描いて地面に突き刺さる。
「ちい!!!!こンの……クソガキがあ!!!!!」
怒号と供に紅鬼の蹴りが前鬼の横顔を強く打った。
しかし前鬼も怯まない。紅鬼の蹴りを入れた脚を掴むと紅鬼の顔面向かって槍を振り下ろした。
(ヤベェ!!!!!)
やはり天地開闢頃から生きていたらこんな風に力も衰えるのだろうか。
全盛期だった頃の自分ならこんなヘマはしなかったというのに……!!
(くそお……!!!)
ここまでか、と眼を瞑ったその時!!
ドン!!!
「……あ…」
紅鬼は眼を開け、その眼を点にした。
先代帝釈天に乗っ取られた前鬼に、何かが体当たりしている。
茶色の袈裟を掛けた黒の僧衣を着た獣耳の青年……が、前鬼に体当たりをしていた。
前鬼はもろに喰らったのか、そのまま吹っ飛んだ。
「………あの……」
「大丈夫そうだな」
「いや、そうじゃなくて……」
「まったく神に乗っ取られた神程厄介なものはないな」
「おい、ヒトの話聞いてるか?」
「ああ、そういえばお前誰だ?」
「俺様の話も聞けぇぇぇ!!!!!」
ファレシナと紅鬼の漫才を見ながら小明はどうしようかとおろおろしている。
が、小明は葛の葉からの言葉を思い出した。
『貴女もお行きなさい。貴女にしか、この神が仕組んだ戦いに終止符を打てないのだから』
『信じなさい。貴女が生涯愛した男を。大丈夫。あの子は貴女を決して裏切らない。
これ以上貴女を傷付ける事もないわ。さあ、お行きなさい』
(ファレシナさんのお姉さん………!!)
小明は自分の胸を服の上からぐっと掴み、歯を噛み締めた。
(そうよ……!!あたしがやれなくて誰がやるの……!!)
この戦いは自分以外止められないと彼の姉は言った。この神が仕組んだ戦いは、自分しか止められないのなら………!!!
(やるしかない………!!!)
小明は一歩、一歩と脚を進めた。


前鬼が自分を護ってやると言った時、小明も心に決めた事がある。
前鬼が自分を護ってくれるなら、自分は前鬼の「心」を護ると。
腕っ節が強い分、前鬼の心の最下層はどんな岩よりも脆い。
どんな鉱物よりも脆くて脆くて。
だから、決めた。
これからは自分が前鬼の心を護ると、支えると。
そう、決めた。


「………前鬼」
先代帝釈天に乗っ取られた前鬼は小明の存在を認めるなり、驚いて身を引いた。
「大丈夫、怖くないよ。ね?」
前鬼の漆黒の瞳が小明の姿を映すなり、前鬼の身体が変化を見せた。
紅一色のざんばらとした髪は逆立ち始め、紅の髪に黒が彩られ始める。
服は白く発光し、朧げに前鬼の鎧が見え始めた。
しかしそれは見え隠れするばかりだ。
「前鬼………」
小明が小さく名を呼ぶ。
名前は、一番短い呪だ、と、ロキが言っていた。
だったら、自分はきっと前鬼にはじめて名を呼ばれてから、この呪に掛かったに違いない。
「ぐう…………!!!」
前鬼は頭を両手で抱えて俯いた。
頭が痛い……!割れそうに……!!
頭の最奥から記憶が溢れてくる。
苦しかった記憶。悲しかった記憶。楽しかった記憶。
自分が生まれてこの方ずっと抱き続けてきた記憶達………
その記憶が今、自分の中で再生されている。ビデオのように途中では止められない。
終るまで続く再生と、苦痛。
その記憶の中で微笑んでいる者達が居た。今なら、その者達の名前も姿形もわかる。
黒髪の蒼い瞳の青年
(ロキ…)
黒髪を逆立てた鬼神
(緋翔…)
普段は弱気だが、鬼神に戻ると性格が一変する青年
(昴…)
普段は強気だが、鬼神に戻ると性格が一変する青年
(蒼樹…)
そして、心の奥底まで記憶している、大事なヒト……
黒髪を二つに括った深い紫の瞳をした少女
(小明!?)


「前鬼!!?」
目の前に居るのは誰よりも大切な少女。
その少女を見るなり前鬼は弱々しくもしっかりと名を呼んだ。
「ち……あき……か……?」
小明は瞳を大きく見開いた。その瞳から零れたのは涙。
「前鬼!!!!!!」
小明は前鬼を呼び、鬼神姿の前鬼に抱き付いた。
いつもなら姿勢を崩さず、自分の身体ごと小明を支えられるが、現在の前鬼は神をその身に無理矢理宿され、鬼神力をことごとく消費しているため、体力もあまりない。
よって。
「ってえ!!!!!」
小明ともども、地面に倒れこんだ。仰向けに。
後頭部を左手で擦り、上体を何とか起こした。
が、やっぱり力が入らず、また仰向けに倒れた。
「いって〜〜……おい小明、さっさとど………」
退け、と言おうとしたが、その言葉は最後まで続かなかった。
小明が前鬼にそっと口付けしたから当たり前だろう。
何時の間にか広がりつつある夜空が星空を映し出す。
瞬く星と輝く満月は、二人を、この戦場を見守っていた――――――――


≪続≫